60歳で家を建てた父の話しと、52歳で家を買う決意をした本当の理由。

今から20年前、60歳で定年した父は、母と二人で田舎の鹿児島県に家を建てた。それまでずっと借家住まいだったが、兄弟それぞれに部屋があったので全く不満はなかった。何度か家を買う話しをしていたようだが、結局買わずじまい。生まれ故郷に平屋を建てることにした。

私達兄弟は早くから家を離れていたので、50代になった両親は二人暮らしをしていた。「死ぬまでに鹿児島に家を建てる」実家に帰る度に、父は話した。「山と川しかない田舎で何すんの?」当時20代の私は、音楽で仕事をすると張り切っていた世間知らず。今から考えるとバカな質問をしたと恥ずかしくなった。

「山と川があるだけでええやろ。それ以上何がいる?」

平屋にしたのは葬式のため

「大阪で家を建てへんかったのは、どうせ鹿児島に帰るつもりやったからや。お前たちに家を残したら、自分で買えへんやろ。」私は生意気に「そんな田舎の家、僕ら要らんで。」相続のこと考えていた。「誰がやる、言うた? 死んだら集会所かなんかに寄付する。あそこは何にもないから。」焼酎に酔っているのではない。父は本気で話した。「平屋にしたんはなー。葬式のためや。襖を全部とったら大広間になるやろ。」父は、自分の葬式のために鹿児島に家を建てた。65歳で父は亡くなった。結局。5年間しかその家で暮らしていないことになる。

葬儀のため、5年ぶりに鹿児島の家を訪れた。家の向かいは小川が流れている。家を建てた当初、河原は雑草が生え放題。それが、綺麗な小石の河川敷になっていた。父は5年間、毎日河原の雑草を刈り込んでいたのだ。

葬儀には100人以上の人が集まった。それだけで、父は幸せな5年間を過ごしていたとすぐに分かった。その後、田舎の家は町の役所が買い取ってくれ、そのお金で母を大阪に呼び戻した。今は弟家族と暮らしている。

父の命日

父がよく話していたことがある。

「いつ死んでもええ、と思える生き方せなあかん! 」
「口だけの感謝はせーへんほーがまし(しない方がまし)」
「ばい菌には気ぃつけや(?)」
「嫁は大事にせなあかんで」
「しんどくなりなや(辛い思いをするな)」
「いつでもおいでや」

今日は15回目の命日。超個人的なブログをご容赦下さい。

 

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