物が増える兆候。カレンダーハウスと枯れた義父。

奥さんの実家に初めて訪れた時、カレンダーの多さに驚いた。リビング、キッチン、廊下、洗面、トイレ、玄関、各部屋と、いたるところにカレンダーが吊るしてあった。「カレンダーハウスやなー。」奥さんは嫌そうに、「せやろー。それに誰も見てないねん。お父さんは毎日、"今日、何日?"て聞くねん。」その義父も3年前に亡くなった。

奥さんの実家はゴミ屋敷とはいかないまでも、物が多かった。掘りごたつに座ったまま手が届く壁に色んな物がぶら下がっている。肩叩きやティッシュペーパーの箱(カバーに輪っかが付いている)、爪切り、ハサミなど。テレビの上にはペン立てがあり、鉛筆やボールペン以外に虫メガネやロウソク、ドライバーも入っていて、取り出せないくらい一杯だった。また、部屋の隅には新聞や雑誌が積み上げられ、その一番上にはスクラップブックとカッターナイフとセロテープが置かれている。これら全てはキチッと整頓されているが、捨てても良さそうな物がほとんどだった。

義父の入院。ベッドにカレンダー。

義父が亡くなった年のお正月、「遺影を撮ってくれる?」82歳で身体は弱っていたが、少し戸惑った。「そうですね。男前のうちに、ええ写真撮っときますか。」カメラを持参して良かった。翌月から体調を崩し夏の終わり頃には、歩行も困難になり施設に入る。そして、約3カ月間そこで過ごした。

奥さんと既に認知症の義母と3人でお見舞いに行ったときのこと。ベッドの枕元にカレンダーが吊るしてあった。奥さんの妹かと思いきや、義母が持って来たのだ。「先日、妹さんと来られた時に持って来ましたよ。」看護師さんが教えてくれた。その日も手提げ袋からカレンダーを取り出し「これ、あそこに貼ってくれる?」ベッドの上の壁を指差した。「これ、去年のやん。お母さん、古いから捨てよ。」「ゴメンゴメン。お母さん脳がおかしいから。」

入院して3カ月になる頃、ほとんど話すことが出来なくなった義父が、「カレンダー捨ててくれるかー。」「そうやな、どうせ誰も見いひんもんな(見ないしね)。」奥さんはカレンダーをトートバッグに入れた。義父は小さな声で「(カレンダーが)あっても今日がいつか分からん。」翌週、草木が枯れるように義父は亡くなった。

物が増える兆候

いつから物が増えるのだろう。来年には新しい家で暮らし始める。「カレンダーは絶対吊らんとこな。」奥さんは「今も無いから大丈夫。時計も無いし。」我が家はカレンダーも時計も無い。腕時計やスマホがあるから部屋になくても困らない。「お父さんも昔はオシャレで、家の中も綺麗やった。でも、いつからやろな?」奥さんは回想する。「カレンダーがきっかけかも?色んなとこから貰うやろ。捨てんの勿体ないって、段々、、、」かも知れない。「もし、私がカレンダー吊ったら、取ってなー。」ちょっと遺伝を気にしている。

物が増える兆候は、きっと何かある。これから更に歳をとる私達に、それらを感じ取ることが出来るだろうか?

 

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