1995年に起きた阪神大震災。当時、私は兵庫県西宮市に住んでいた。最も被害が大きかった地域の一つ。4階建ワンルームマンションの2階で、一人暮らしをしていた。
地震が収まった直後、窓から見えていた文化住宅が全部無くなっていた。マンションやビル以外の建物はほとんど壊れ、道路のあちこちから、火と水が出ている。
生き残り?
その時"私と、ごく僅かな人だけが生き残った"と、本気で思った。しかし、その妄想も1時間ほどで終わる。
水が出なくなったので、瓦礫の山をかきわけ西宮北口駅まで出かけた。すると、トイレは長蛇の列。水は出なかった。しかし、生き残った人達が、意外と多いことにホッとした。
そして、駅前で配布されていた緊急号外を見て、"生き残り"ではないことを知ったのだ。
ノストラダムスの大予言?
私は中学の終わり頃から20代の初めまで、"1999年に地球は終わる"と信じていた。ノストラダムスの大予言の影響だ(?)。同世代(50代)の方には分かるかもしれない。
当時、音楽家を目指していた私に、ノストラダムスの大予言は都合がいい言い訳。勿論、人に話してはいない。自分自身に言い聞かせる材料に、「やりたいことをする。どうせ、35歳で地球は終わるんや。」とバカなことを思っていた。今でも、2018年であることが、近未来に感じるのは、私だけ?
頑丈な建物
若い頃は、ヘーベルハウスに住みたいなんて思いもしなかった。それどころか、ヘーベルハウスの存在も知らない。ただ、頑丈な建物に対しての憧れが、阪神大震災を機に根付いたのかも知れない。それ以前にも、"薄い壁は嫌"と思っていたので、尚更(過去記事参照)。
ヘーベルハウスは頑丈だ。それを思い知るには、十分すぎるほどの出来事。屋根瓦が落ちた家、ブロック塀が倒れているのを見ると胸が痛い。
まだ、地震は続いている
阪神大震災で、倒壊した木造文化住宅を見たこと。
隣の声がまる聞こえのアパートに住んだ経験。
1999年に地球が終わると信じていたバカな学生時代。
先日起きた、大阪北部の大きな地震。
こうして生きている。
誰に感謝していいか分からない。
神棚に手を合わせ、
義父が残したゴムの木を触り、
母に電話をかけた。
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