笑って見送る父の火葬?喪中ハガキと思い出と

年賀状の準備を始める。ここ数年、喪中ハガキが届くと年末を実感するようになった。年々増える喪中ハガキ。今朝、その中から気になる人の名前を見つけた。

父の親友

両親が鹿児島に住んでいたとき、父と仲が良かった父のいとこ(ツギオさん)。親戚以上に親友として晩年、楽しく遊んでいたようだ。脳卒中で突然亡くなった父。葬儀の手配から、何から何までお世話をしてくれた。知らせてくれたのもツギオさんだった。「お父さんが、亡くなった。明日すぐに来て。準備はわしがして待ってるから。」要件だけの電話をかけてきた。

夜10時。突然の悲報に悲しむ間も無く、鹿児島に行く支度を始めた。弟の家にも、ツギオさんは電話をかけていた。「飛行機の手配は僕がするから、朝9時に伊丹に行って。」昼1時ごろ、鹿児島の家に到着。ツギオさんの姿は無かった。母がショックで倒れたため、近くの病院に連れて行ったらしい。

アサリの酒蒸し

病院のベットで母は、「お父さんが死んだ。」と何度も繰り返している。「まーちゃんやな?(私のこと)しんどかったなぁ。」挨拶もなく優しい言葉をかけてくれた。

お通夜では、大量のアサリの酒蒸しを叔母が作ってくれた。「お父さんが昼間、(潮干狩りで)取って来たアサリや。お通夜用に取りに行ったみたいやな。」母と二人で潮干狩りに行き、その夜父は亡くなった。自分のことより、人のことを考える父。死んでも同じ様なことをすると思った時、やっと涙が出てきた。

火葬場で順番待ち

葬儀が終わり、火葬場に向かう。ツギオさんが「まーちゃん、ハンコ持ってきて。書類に書くことがあるから。」火葬に許可がいるとは知らなかった。引き出しの中を探していると、少し元気を取り戻した母が「これや。持って行って。」と私に印鑑を手渡した。

火葬場には親戚一同が集まり、待合室でお茶を飲んでいた。「次の次や」火葬場で順番待ち?「毎日誰か死ぬんなや」当たり前のことを実感する。

父の実印

事務所で『火葬を許可する』(正式名称は思い出せない)ための書類にサインをする。事務員さんに印鑑を渡した。母が用意した父のフルネームが彫られた実印だ。事務員さんが、「これはダメです。この印鑑では、」「何でですか?実印ではダメなんですか?」知らずに問い返した。「これは、亡くなられたご本人様の印鑑です。火葬の許可は、ご親族の代表者でないと、、」それもそうだ。「シャチハタでも何でもいいので、他に印鑑をお持ちでないですか?」

ツギオさんは「本人がいいと言っているから、これでお願いします。」事務員さんは笑いながら「それもそうですなぁ。いいでしょう。」と許してくれた。ツギオさんは「自分の火葬を自分でオーケー出しよった。ハッハッハッ」と大笑いした。

*今日も超個人的ブログ、ご容赦下さい。

 

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